補強音痴に会いたくて

   

こんにちは。国府町怒児(こうまちぬんじ)と申します。
今日は「補強音痴に会いたくて」と題しまして補強音痴と私が呼んでいる人たちについてお話したいと思います。

 

補強音痴とは

有史以来、様々な音痴が発見されてきました。
例えば、運動音痴といえば、運動の苦手な人を指します。
機械音痴なら、機械の操作が苦手な人。
方向音痴、味音痴、恋愛音痴といった言葉もあります。
そして近年、「物体の補強が不得手な人」というカテゴリの人間がいることが分かってきました。
こうした人を指して、私は補強音痴と呼ぶことにしました。

いきなり「物体の補強が不得手な人」と言っても分かりづらいと思うので、具体例を見ていきましょう。
まずは、ちゃんとした人の補強からです。

 

ちゃんとした人の補強

こちらはスーパーの裏にあったゴミ捨て場の張り紙です。
いかがですか。
張り紙の周りがガムテープでしっかりと補強されていますよね。
強度的に弱い部分がないように、均等にカッチリと覆ってあります。
ちょっとやそっとの風ではびくともしないでしょう。
それもこれも、しっかりとした補強があってこそです。

では、補強音痴の人の補強はどうでしょうか。

 

補強音痴の人の補強1

補強音痴の人だと上の画像のようになります。
自販機の横のゴミ箱ですね。
プラスチックが劣化して破損したから、ガムテープで補強したのでしょう。
しかし、先ほどの無駄のない補強と比べて、明らかに効果的でない箇所にガムテープで補強がしてあります。
これが補強音痴たる所以なのです。

 

どう効果的でないのか

どう効果的でないかというと、まず余計なガムテープをたくさん使っています。
例えば①の部分。
ここにガムテープを貼る意味が見当たりません。
これを私は、「ガムテープの犬死に」と呼んでいます。

それから②の部分を見ていただきましょう。
一部ひび割れをしているために補強したのでしょうが、こんなにたくさんはいらないはずです。
私の発見した補強音痴の定理で、「斜めは補強音痴の法則」というものがあります。
斜めのガムテープを追加している人の心理は、「これだけの補強で大丈夫だろうか」と不安になっているんです。
それは裏を返せば、縦と横でカッチリと補強する腕前がないことを意味しています。

別の場所でも、「斜めは補強音痴の法則」が適用されています。

③部分にも注目ですね。
ガムテープの剥がされたような形跡があります。
これ、最初はゴミ箱の蓋部分と連結していたのではないでしょうか。
そして一度補強をし終わった後で、「あっ、ゴミ袋変えるときに蓋開けるんだ」となり、
やむなく側面部分を剥がした、というストーリーが想像できます。
そういったうっかりも補強音痴の適正を表しています。

 

補強音痴の人の補強2

こちらは、雀荘の看板です。
パネルが外れてしまったため、ガムテープで補強してあるのでしょう。
素晴らしく補強音痴ですね。
まず、先ほどと同じように余計なガムテープを要しています。
不安が不安を呼んでとんでもない量になっています。
その割にあまり関係のなさそうな範囲にまでガムテープを貼ってあるのが味わい深いです。

そして、大事な店名が隠れてしまっています。
おそらく「リーチ麻雀」でしょうが、確定ではありません。
もしかしたらアーチ麻雀かもしれないし、サーチ麻雀の可能性だってあります。

お店の売りである、麻雀プロの名前が隠れているところも痛いですね。
「小島武夫」が正解なのかなあとは思いますが、全然違うかもしれません。
過剰な補強があることで、様々な弊害が生まれています。

ガムテープの色には気が遣えるのに、文字までは気が回らない。
補強音痴らしさがよく分かる一枚です。

 

補強音痴の人の補強3

補強といってもガムテープばかりではありません。
こちらの画像のように、ステンレスか何かで補強してあるものもあります。
雰囲気の重要なスナックで、看板の審美性をぶち壊すような補強をしてしまう。
補強音痴だなあとしみじみ思います。

 

なぜ補強音痴は生まれるのか

さて、ではなぜ補強音痴は生まれるのでしょうか。
私は一つの説を考えました。
それは、学校教育の中で唯一補強だけは習ってこなかったからです。
国語、算数、理科、社会、体育、美術、音楽、技術、家庭科。
日本の学校教育は実に幅広い分野を網羅してくれています。
一通り学べば、教養と生活能力を兼ね備えた人物ができあがることでしょう。
しかし、そんな中で、補強だけは学校で教えてくれないんです。
「ガッチリ補強してみよう」という単元ありましたか。
ないですよね。
このため、教育での地力の底上げがされずに、個人の補強センスがダイレクトに反映されてしまう結果になっているのです。
補強の上手な人はいいでしょう。
でも、補強の下手な人は補強の基礎を知らないまま大人になって、勝手に個人の感覚で補強をしてしまうので、補強音痴による作品が街に溢れているのです。

ただ私は、補強音痴の人を糾弾するつもりはありません。
なぜなら補強音痴の作る作品は不思議な人間味で街を彩ってくれるからです。
綺麗な補強ばかりではつまらないじゃないですか。
たまに酷い補強があることで、血の通った人がこの街にも住んでいるんだなあと実感が湧きます。
なので私は、補強音痴の作品を面白がるというスタンスで見ていきたいなと思っています。

最後に、意図のよく分からない補強の画像を貼っておきます。
では。

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